わたしとバレンタインデー
◼︎ 今回のテーマ
今週のお題「わたしとバレンタインデー」
◼︎ わたしとバレンタインデー
僕は忘れない。あの日を。
あれは僕が10歳の夏だった。
「たかし、宿題はもう終わったの!?」
母の声を背中に浴びながら、僕は外に駆け出していた。
(帰ったらやるよ!)
心の中だけで返事をして、僕は近くのグラウンドに向かっていた。グラウンドは走って5分ほどのところにあった。
僕はその頃少年野球チーム「川越クルセイダーズ」に入っていた。そして今日はライバルチーム「大宮ビッグキャッスルズ」との練習試合。
集合時間は、僕が家を出た時間だった。
息を切らしてグラウンドに入った僕によく知る声がかかる。
「たかしくん遅いでヤンス。もうアップ始まってるでヤンス。監督に怒られるでヤンス。」
「ごめんごめん、途中で大ワシに攫われそうになってさ」
僕は親友の矢部に適当に返事をしつつ、周囲を見渡した。
(今日はあの子はいない…か…)
ふっ、と息を吐いて、僕は皆に合流した。
恋をしていた。
大宮ビッグキャッスルズとの練習試合に、いつも来ている子だった。
たぶんあちらのチームの関係者なのだろう。
でも、大声を出したりせず、じーっと試合を、選手を観てる。
最初に気づいたのは半年前。それから、たまに練習中や試合中に目が合う。気がしていた。
「もしかして僕のこと…好きなのかな?」
気になるけど、声はかけられなかった。
だって、その子は外国人だったから。
目鼻立ちのくっきりしたその子に、
「ハ、ハロー…」「バナナ…」
くらいしか言えない僕には、無理だった。そう、半年前の僕には。
恋は無敵、とか、愛は地球を救う、とかよく言うけど、本当にそうかもしれない。
だって僕は恋のためにたった半年で、ネイティブレベルの英語力を身に付けたのだから。
結果を気にする前に、今やるべきことに夢中になること。それが大切なのかもしれない。なんて、ただの下心なんだけど。
アップが終わり、試合が始まった。
今さらながら、僕のポジションはファースト。矢部はベンチだ。今は監督が座っている。僕も後で座ろう。
試合は一進一退。そして、9回裏ツーアウト満塁。45-45の同点の場面で、僕の打席が回ってきた。打てばサヨナラ、打てなければこの試合はまだ続く。もう手の感覚がない。
バットは虚しく空を切り、投手の制球も定まらない。
気づけばフルカウント。もう、後はない。
そんな時、背中に視線を感じた。
振り返ると、あの子がいた。
心臓の鼓動が速くなる。手の感覚が戻った。
ーこれなら、いけるー
そして投じられた球を、僕は勢いよく殴りつけた。試合は、45-49で終わった。
試合が終わり、僕は走り出した。
ーあの子に今日こそ、言うんだー
口はカラカラだった。
駆け寄った僕を見つめるその子は、何も言わずに僕を見つめ返していた。
そして僕は英語で語りかけた。
「好きです。僕と友達になってくれませんか?」
答えはすぐに帰ってきた。日本語で言うと、こういう意味だ。
「私もあなたに興味があるの。最後のスイング、最高だったわ。もし良かったら…私も一緒に野球…したいな。」
最高の返事だった。
そして、僕はその子と一緒に野球をするようになった。
すぐにファーストネームで呼び合う仲になったのは、ちょっと照れ臭いけどお伝えしておこう。
「もう遅いよ、たかしー」
「ごめんごめん。大きなワシに攫われそうになってさ」
「もう!またその言い訳して!」
「ごめんごめん!じゃあ、行こうか、ボビー」
僕と一緒に野球をしたその子がメキメキと腕を上げ、千葉ロッテマリーンズを導いたのは、また別の物語だ。
終わり