勝手にサンドバッグ

今週のお題をネタに小説を書いたり、考えたことを書きます。

寛二郎とお雪

■ 今回のテーマ:今週のお題「雪」

 

平成最後の年の冬のこと。生家の納屋を片付けていたところ、大正時代を生きた、かの紺染半地(1895〜1985)の遺稿を見出した。ここにその記録を残す。

 

◯『寛二郎とお雪』 紺染半地

 

雪を踏みしめ、寛二郎は走った。 

 

「お雪よ、大丈夫だ、大丈夫だ」

寛二郎は疾風の如く駆けながら、懐で次第にその温もりを失いつつあるものに呼びかけていた。

「キュウ…」

切ない声が霙まじりになり始めた雪に吸い込まれる。

寛二郎はグッと奥歯を噛み締め、さらに力強く、駆けた。

 

お雪は寛二郎の大切にしている、それはそれは愛くるしい、兎であった。

寛二郎が12を数える頃の冬、近くの山で狩りをしていた際、懐いてしまった兎だった。

どうしたものか、と寛二郎は悩んだが、家で飼うことにした。

冬に出会ったことからお雪と名付け、それから5つの冬を共に越した。

しかし、6つ目の冬を越えられるかは、今、寛二郎に掛かっていた。

 

「どうしたのだ、お雪?」

お雪にエサをやり、残った骨をそこいらの犬にくれてやっていたとき、異変は起こった。

お雪がぶるぶると震え始め、ぱたんと倒れたのだ。

「お雪!」

寛二郎が駆け寄るが、お雪は立ち上がらない。

寛二郎はお雪を抱え上げると、隣町の医師を訪ねるべく駆け出したのだった。

 

寛二郎が医師のもとに辿り着いたのは七つ半(注:17時30分頃)にもなろうかという頃合だった。

 

「悪いがもう閉めようかと思っておったところじゃ。急ぎでなければ出直して貰えんかのう。」

「急ぎなのだ。私の兎が…お雪が…」

息も絶え絶えに寛二郎が応えると、医師は、ほう…と呟き、見せてみなさいと言った。

 

「君、これは大変なことじゃ。どうして今まで放っておいたのじゃ。」

真剣な医師の表情と声に寛二郎は息を飲み、恐る恐る訪ねた。

「助かるのですか?」

医師は首を横に振り、助からないと応える。

寛二郎は泣き崩れた。

しかし、ここで医師は妙なことを言った。

「お雪は助からないとは言っていない。だが、恐らく我々は助からない。」

 

しばしの沈黙の後、寛二郎はどういうことか?と尋ねた。

 

「君、これは兎ではない。これを見ろ。兎は基本的に肉も食わないので牙もないはずなのじゃ。」

寛二郎が理解できないでいると、医師は言葉を続ける。

「これは近くの山で見かけられたという妖怪じゃ。人はこれをチュパカブラと呼んでいる。非常にどう猛な化け物じゃ。これは今、幼体から成体になろうとしている。成体となれば牛やヒトを食うようになる。そして我々はもう、臭いを覚えられてしまったのじゃ。」

 

寛二郎は逃げた。最初の犠牲者となった医師に謝りながら。

雪を踏みしめ、寛二郎は走った。

 

終わり